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「ことば」の難しさ

今回は、少し真面目な話を書いてみようと思います。
似合わないことはするなと言わないこと


コミュニケーションをとるとき、多くの人は言葉を媒介とすると思います。
相手に何かを伝えたい、あるいは自分の気持ちを表現したい、というように。

でも、言葉で表現できることは、本当に極わずかに過ぎないんですよね。
たとえば、聴いていてすごく心がゆさぶられるような音楽に触れたとき、それをどのように表現するでしょうか。

「感動した」「胸が震えた」「全身に鳥肌が立った」「どきどきした」「背中がゾクゾクした」

といったような言葉で表現するのではないか(もっと別の表現もあるでしょうが)と思います。
しかし、それは本当に「あなたが感じたこと」をすべて伝えているのでしょうか。

言葉というものは、(それぞれの国で言語体系が違うとかいうことはありますが)基本的に、人と人との共通理解を得るための、最大公約数的なものなのではないかと思います。

言葉を超えたもの、言葉にならない気持ち、といったものがあるとすれば、そういったものはどう表現すればいいのでしょうか。
例えば、自分がとても愛しいと思える人に、自分の気持ちをどう表現すればいいのだろう、という場合を考えてみましょう。

ある人は、その気持ちを花束で表すかもしれません。
またある人は、その気持ちを音楽や絵に表すかもしれません。
別の人は、ただ相手を抱きしめて、その気持ちを表現するかもしれません。

どのケースも、言葉はひとつも使っていません。でも、なんとなくではあるけれど、「相手を大事に思っている」ということは、伝わるのではないでしょうか(例外的に、最後の「抱きしめる」のケースは、相手も自分のことを好きでいてくれているような関係で無い限り、逆効果でしょう。一歩間違えば犯罪ですし^^;)。
言葉以上のものを伝えようとするなら、行動や身振り手振りなどで表現するしかないのかもしれません。

逆を言えば、言葉以上の気持ちを、無理やり言葉に「翻訳」することは、ナンセンスだと言えるのではないでしょうか。
確かに言葉は伝達手段として、とても便利なものですが、その便利さゆえの落とし穴があるということも、私たちは気付くべきなのかもしれません。

某心理学のサイトには、「私の、どういうところが好き?」「私のこと、どう思ってる?」といった言葉はかけてはいけないのだということが紹介されていましたが、これまで私が書いてきたことを読めば、なんとなくその意味は察することができるのではないかと思います。

つまり、「相手を好きだという気持ち」は、簡単に言葉に置き換えることができる類のものではないということです。それを無理やり言葉に変換することに、どんな意味があるのでしょうか。


「愛されたいという証がほしいから」

一見すると、とてもシンプルで解りやすいものですが、その証を言葉に求める必要があるのかな、と思うのです。むしろ、表現できない気持ちを無理やり言葉にさせてしまうことで、不自然なものにゆがめられてしまうことだって、ありうるのですから。






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