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Flash作成

なんか、本業よりも自分の趣味に時間を費やしているような気がして仕方がない管理人です。こんばんわ。


最近、ちょっと色々あって凹み気味だったんですが、そのときに聞いていた音楽の歌詞が、すごく自分の現状というか、心境を表していて、音楽を聴きながら少し泣きそうになっていました。

そうして何度も同じ曲を聴いているうちに、自分の中にあるイメージが沸き起こってきたわけです。
よくフラッシュでショートフィルム(?)みたいなのを作っているひとがいますが、ああいう感じの絵が、頭の中で形をとりはじめたんですよ。



で、「興味をもったら突っ走る」がモットーの私としては、「よし、Flashを作ろう」と、安易に決めてしまったわけで。


もちろん、Flashの作り方なんて知らない(パワーポイントなら使えますが)し、周囲にはPCに詳しい人なんて誰もいやしません。


でも、



ま、なんとかなるっしょ


と、非常に適当楽天的なノリで、マクロメディア社からflash MX prefessionalの体験版をインストールしましたが。







全く分かりません



まるで初めてHTMLタグのソースを見たときのような感じ。頭には無数の「?」マーク。
それでもなんとか頑張ってみましたが、やっぱりわからず撃沈。



やはり初心者にFlash MXはオーバースペックだったようで・・・
そうなると、一体どのソフトがいいんだろう。
気になっているのは「Flash Maker」というソフトですが、果たしてこれもうまくいくのかどうか・・・
果たして、こんなんでFlashは完成するんだろうか。

乞うご期待(’A`)
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客寄せパンダになってみる。

といっても、本当にぬいぐるみをかぶるとか、そういうのではないです。


某電器店のオープンセールの目玉商品を買うために、開店1時間半前から並んでみました。


やっぱり3万円のパソコンとか、6万円の冷蔵庫とかを目当てに来ている人が多くて、そのなかで1万4千円のデジカメのために並んでいたのは、滑稽だった気がしますが。


今年の福袋商戦で、開店2時間前に行っても全然買えなかったという経験があったんですが、

「まあ、田舎だから、そんなに人は居ないだろう」


と思って行ったんですが。



100人↑いるよ(;´д`)



先頭のひとなんか、ダンボールを敷いて毛布まで持ってきてるし・・・
なかには座り込みでジュース飲んだり、一家総出(笑)で子どもと一緒に並んでいる親もいました。
親のエゴの犠牲になったかわいそうな子どもたちだ


確かにMDプレイヤーが5千円とかだから、まあ並びたくなる気持ちはわかりますがね。


ちなみに、整理券の配布が始まると、けっこう場の雰囲気が変わりました。
あわただしくなるというか、緊張するというか。

で、一人につき整理券が一枚なので、配られるたびに「パソコーン」とか『洗濯機ー』とか、まるでドラ○もんが道具を出すかのごとく、お知らせしてくれるわけです。

まあ一番人気は、やっぱり3万円のデスクトップ型PCでした。先頭2列くらいで、即完売でしたからね。
あー、きっとこのPCのうちの何台かはヤフオクあたりで転売されるんだろーなーとすぐに思ってしまうあたり、
かなり社会の毒に侵されているような気がした一瞬。


並んでいるときは「あー、あほらし」なんて思っていながらも、いざ整理券が配られ始めると、ポケットに突っ込んだ右手でしっかりと「デジカメ」という声の回数を数えている俺がいましたよ・・・


すぐ後ろにいたおばちゃんともなぜか商品の話してるし・・・
整理券を配る人が近づいてくると、祈るように手を組んでいるおばちゃん。そのすぐ前には、顔は平静を装っていながらも、ちょっとドキドキしていた俺。
そのおばちゃんも俺も、なんとか無事に目的の商品をゲットできて、「よかったねー」と、なぜか和やかなムードに。
まあ、こんな感じですた。


DSC00130













で、自分が持っていた旧型デジカメと、今日買って来たデジカメとを並べてみると・・・



DSC00132















違いは一目瞭然(*´д`*)

右のが200万画素、左のスリムなのが410万画素ですから、性能の差は明らかです。

やっぱり、技術は日々進歩しているってことですね・・・

寒い季節の玄米茶

最近、めっきり秋めいてきました。
けっこう半袖だと、日中でも肌寒いなあと感じるほどになってます。
夏だった頃は、けっこう冷たい水とか麦茶なんかをごくごく飲んでいたものですが、
近頃になると、そういうことをしようという気にはならず、熱い玄米茶を湯飲みで飲むのが習慣になってます。


といっても、急須を持っていないので、お茶パックに徳用玄米茶を5gほど入れて、パックを湯飲みに入れて、上からお湯を注いでしばし待ってから飲む、というスタイルにしています。


いや、正確に言うと急須は持っているんですが、使い物にならないんですよね。



カビが生えてるので。


ついつい、急須の中身を放置してしまうことが多くて、洗うのを忘れたまま「ま、いいか」と放置しておいた結果、中身が見事に緑色のカビに埋まってしまってました。

orz


これで急須駄目にしたの2回目ですよ・・・
こう考えると、一回ごとに捨てるお茶パックのほうが、お金はかかるけど自分にはいいのかな、と。


話題がグロくなってしまったので、お茶の話。

子どもの頃から、親とご飯を食べていたとき、食後に必ずといっていいほどお茶が出てきていました。
ほとんど「とりあえず、飲む」みたいな感じでずっと飲んできたんですが、お茶の苦味がおいしいなあと思い始めたのは、たぶん高校くらいの頃からです。
それまでは

なんだこの苦い飲み物は


と思ってましたから・・・


最近では、香りがいいことから、玄米茶をよく飲んでいます。
ずずず、と音をたてながら飲んでると「いかにもお茶を飲んでるなあ」という実感がわきます。
だって飲んでるのはお茶なんだから、「お茶を飲んでる実感」もなにもないだろという突っ込みは禁止
でもこれが、ホットのウーロン茶とかだと、駄目なんですよね。気持ち悪くて。
熱いお茶は玄米茶か緑茶に限る。こういうこだわりがなぜかあります。

こういうのって、やっぱり子どもの頃からの体験とかに影響しているのかなぁ・・・

開店記念セール

今日、近所のベスト電器が新しくできたということで、安売りをしていました。
といっても私は新聞をとっていないので、図書館で広告を読んだだけなんですが、けっこう連休の間、日替わりで商品を安く売るようです。

学部の時の授業(マスコミュニケーション論だったかな?)で、「広告は、あくまで客を釣るための餌」だという言葉を聴いた覚えがあります。つまり、たいていの人は、広告に載っていた「安売り商品」を求めてお店に行くわけですが、その「安い品だけ」を買っていく人というのはあまりいないそうで、「どうせ来たついでだし、これも買っておこう」というように、他の品も買っていくのだとか。
その意味で、広告はいわば「客寄せパンダ」なのだそうです。

電器屋のオープンセールのチラシを読んでいると、電気ポットが2000円とか、プリンターが8000円とか、デジカメ(500万画素くらいある)が2万以下など、けっこうパッと見た感じ「安いなあ」という感じはします。
事実、私もデジカメが古くなってしまったので、新しいのを買おうかなあと思っていた時にこの広告。
釣られたくもなります。

が、よくよく考えると、お店の戦略にまんまとひっかかってしまうようでなんか悔しいので、買いに行きたくないという気持ちが強くなっています。今は。

客が入れば、その客が客を呼ぶ。
コンビニの雑誌コーナーがなんでわざわざ通りに面したところにあるのかというと、あれは「立ち読みする人がいる」ことをあえて通行人に見せることで、「人が入るコンビニだ」と思わせるための戦略だというようなことを聞いたことがありますが、その話をふっと思い出しました。
もしそうだとしたら、電器屋にいそいそと足を運ぶ自分も、一種の客寄せパンダということに・・・(´・ω・`)



まあ、客寄せパンダになるかどうかは別にしても、サイバーショットの410万画素のやつが14000円で売られるらしいので、買おうかどうか、かなり悩んでいるわけなんですが。
どうするかねえ・・・

「ことば」の難しさ

今回は、少し真面目な話を書いてみようと思います。
似合わないことはするなと言わないこと


コミュニケーションをとるとき、多くの人は言葉を媒介とすると思います。
相手に何かを伝えたい、あるいは自分の気持ちを表現したい、というように。

でも、言葉で表現できることは、本当に極わずかに過ぎないんですよね。
たとえば、聴いていてすごく心がゆさぶられるような音楽に触れたとき、それをどのように表現するでしょうか。

「感動した」「胸が震えた」「全身に鳥肌が立った」「どきどきした」「背中がゾクゾクした」

といったような言葉で表現するのではないか(もっと別の表現もあるでしょうが)と思います。
しかし、それは本当に「あなたが感じたこと」をすべて伝えているのでしょうか。

言葉というものは、(それぞれの国で言語体系が違うとかいうことはありますが)基本的に、人と人との共通理解を得るための、最大公約数的なものなのではないかと思います。

言葉を超えたもの、言葉にならない気持ち、といったものがあるとすれば、そういったものはどう表現すればいいのでしょうか。
例えば、自分がとても愛しいと思える人に、自分の気持ちをどう表現すればいいのだろう、という場合を考えてみましょう。

ある人は、その気持ちを花束で表すかもしれません。
またある人は、その気持ちを音楽や絵に表すかもしれません。
別の人は、ただ相手を抱きしめて、その気持ちを表現するかもしれません。

どのケースも、言葉はひとつも使っていません。でも、なんとなくではあるけれど、「相手を大事に思っている」ということは、伝わるのではないでしょうか(例外的に、最後の「抱きしめる」のケースは、相手も自分のことを好きでいてくれているような関係で無い限り、逆効果でしょう。一歩間違えば犯罪ですし^^;)。
言葉以上のものを伝えようとするなら、行動や身振り手振りなどで表現するしかないのかもしれません。

逆を言えば、言葉以上の気持ちを、無理やり言葉に「翻訳」することは、ナンセンスだと言えるのではないでしょうか。
確かに言葉は伝達手段として、とても便利なものですが、その便利さゆえの落とし穴があるということも、私たちは気付くべきなのかもしれません。

某心理学のサイトには、「私の、どういうところが好き?」「私のこと、どう思ってる?」といった言葉はかけてはいけないのだということが紹介されていましたが、これまで私が書いてきたことを読めば、なんとなくその意味は察することができるのではないかと思います。

つまり、「相手を好きだという気持ち」は、簡単に言葉に置き換えることができる類のものではないということです。それを無理やり言葉に変換することに、どんな意味があるのでしょうか。


「愛されたいという証がほしいから」

一見すると、とてもシンプルで解りやすいものですが、その証を言葉に求める必要があるのかな、と思うのです。むしろ、表現できない気持ちを無理やり言葉にさせてしまうことで、不自然なものにゆがめられてしまうことだって、ありうるのですから。






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